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おじい様 〜弁明〜
 はじめまして、ワタクシは闇です。特に新月の真夜中に多く含まれている闇です。このように皆様にお話しするのは初めてですので、ワタクシ、些か緊張しております。それゆえ、多少堅苦しい言い回しが含まれても、或いは逆に幼すぎる描写が見えても、是非皆様には感じて欲しいのです。ワタクシを。

 今日、皆様のお耳に入れておきたい事は、他でもないワタクシの、いわば懺悔のような類の話なのです。まあお聞きくださいな。

 皆様、「闇に乗じて」とよく仰いますでしょ?あれ、実は全てがメタファーではないのです。多くの方は、人間の行為を闇が見えにくくする、くらいにしか捉えていらっしゃらないのでしょうが、もともとはワタクシのおじい様の悪ふざけに端を発する言い回しなのです。

 そうそう、言い忘れておりましたが、ワタクシのおじい様も「闇」でした。少々わかりにくいのですが、ワタクシたちは「闇」は襲名をしているのです。ですから常に一つの「闇」が存在する一方で、それは不変ではないのです。

 さて、で、「闇に乗じる」ことについてのお話です。それを説明する事は、つまりワタクシ「闇」の役割をしっかりと把握していただくことになります。多くの方はワタクシを唯のベールだか、或いは精々一寸濃い目のベールくらいにしか感じていらっしゃらないでしょう。つまり、共通される認識は被せるもの、との認識でしょう。
 しかし、ワタクシの名誉にかけて言いましょう。それは誤りです。ワタクシは、いま皆様の目の前にあるディスプレイと同じく存在しております。是非皆様に陥らないで欲しいのは、物質的という見地です。その見方は、今後我々を認識する際に全く必要でないどころか、その存在自体をあたかも無いものかのように振るまわさせる、まさにベールであるからなのです。

 お喋り過ぎましたね。申し訳ない。
 ただ、折角ですので、ワタクシがそこに目くじらをたてる意味がおそらくあるのだろう、くらいには感じていただけますか?有難うございます。


 手短に言いますと、ワタクシが皆様を覆っているのではありません。皆様をはじめとする、森羅万象がワタクシに被さるベールとなり、まさにワタクシの上に「乗って」いるのです。それゆえ皆様は初めてワタクシに触れる事が可能となるのです。

 即ち、本来ワタクシと皆様が接触する事は、ワタクシの純粋な表出を意味しておりました。しかしそこで面白い悪ふざけをはじめてしまったのが、ワタクシのおじい様にあたる、先代の「闇」でございます。
 おじい様は、全てを把握できることに飽き飽きしてしまったようで、どうにかして把握できない部分をつくり、其処にエネルギーを費やし、それによって愉しみを見出そうとお考えになられました。その結果、至った結論が、考える主体としての他者の創造でありました。

 もう既にお察しの方もいらっしゃるとは思いますが、これは非常に危ない思い付きでした。しかし、おそらくおじい様は愉しみと自らの存在とを天秤にかけたというだけの事なのでしょう。ワタクシも、おそらく、同じことを繰り返したと思います。勿論、ワタクシはその結果をしっているがゆえにそう思い切った事をいえるのかもしれませんが。


 そんなわけで、皆様にはご迷惑をおかけしおりますが、何卒ご了承ください。でも、満更捨てたものでもないでしょう?
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